木村政司先生
DB名: National Geographic Virtual Library
投稿: 2013年8月5日
ゲスト: 木村政司先生
機関: 日本大学
トピック: National Geographic Virtual Library
協力: 紀伊國屋書店

“ナショジオの雑誌は
人類の宝”

 
Q 今日はお忙しいところ、お時間をいただき、ありがとうございます。今日のインタビューの主旨からご説明させていただきます。私どもセンゲージラーニング株式会社傘下のゲール(Gale)は、もともと百科事典や歴史資料を印刷物やマイクロフォームの形態で出版していましたが、10年ぐらい前からデジタル化に着手し、百科事典や18世紀の刊行物や新聞のタイムズ、エコノミスト、イラストレイテッド・ロンドン・ニュースなどのウェブ版を販売してきました。最近では、自社のコンテンツの他に、ナショナルジオグラフィック協会やスミソニアン協会といった機関と大規模デジタル化に向けた提携をして、それらの機関のアーカイブをデジタル化しています。このようなデータベースをプロモーションする際に、専門の研究者には改めて価値をご説明するには及びませんが、図書館の方々や弊社の商品を扱っている代理店の方々に対してはデータベースに収録されたコンテンツの背景的な知識を提供することによってそのコンテンツに親しんでもらおうという試みを弊社のウェブサイトで行なっています。今回のインタビューもその一環として位置づけておりまして、ナショジオの雑誌については、研究者からさえも、これは一般向けの読み物だと、相手にされない事例が出てきています。そこで、ナショジオに関する背景的な知識や価値を分かりやすく伝えることができれば、と思い、ナショジオやスミソニアンに在籍された経験を持っておられる木村先生にインタビューさせていただくことにしました。

A どうしてナショジオの価値が伝わらないと思いますか。

Q どうしてなのでしょうか。

「ナショジオの出版活動は教育活動やスタディープログラムとリンクしているのです。」

A 日本の出版社は、欧米と異なり売ることしか考えていません。売れれば価値があるという、価値観や出版文化の相違がある。僕が米国で学んで当たり前だと思っていたことが、日本では当たり前ではないことに気づき、愕然としました。1985年に戻ってきた時です。本を出版するあり方や教育が日本と欧米では全く違います。博物館で教育したり、美術館で絵を描かせたりするなどの教育が、本の知識を子供が理解するための素地としてある。ナショナルジグラフィック協会も、単に雑誌を出版しているだけではなく、ちゃんとしたスタディープログラムを持っています。マヤ文明や南極や南アフリカに研究者と一緒に行って学習するプログラムが一年中用意されています。スミソニアン博物館もそうです。そのプログラムで得られた知識、その知識を文字化して平易に伝達する知識、そして論文の知識がきちんとセグメント化されている。各々の知識のターゲティングもできている。スタディープログラムも、初心者向けツアーと上級者向けツアーとに分かれている。これらの素地やプログラムの末端に雑誌や本の出版があります。逆もあり、本や雑誌を読んで南アフリカに興味を持ったので、南アフリカツアーに参加してみよう、と。このシステムが日本ではまったく出来ていません。ただ売ることしか考えていないし、ツアーも富裕層向けのクルージングなどしかなく、何の知識も得られない。知識を得ることの楽しさや学び続けることの楽しさが提供されていない。
木村政司先生
僕に昆虫のイラストレーションを教えてくれたオックスフォード大学の先生は、遊覧船上で昆虫学を教えています。今は大学を退官してBBCでプレゼンターとして活躍しています。つまり、研究者がサイエンスコミュニケーターでもあるわけです。日本はサイエンスコミュニケーターと研究者が完全に分かれてしまっている。サイエンスコミュニケーターもコミュニケーターにもプレゼンターにもなりえていない。この点を僕は、かなり前から強調しています。芸術と科学はかつて一つだったのが、150年前ぐらいから分化して、専門分化してしまい、自分の専門以外のことは分からなくなってしまった。本来はこれを補う教育をしなければならなかったのに、それをやってこなかった。

米国の一般家庭にはナショナルジオグラフィックの雑誌が居間に必ず置いてあります。子供たちはこれで学ぶわけです。日本ではそんな家庭はありません。研究者しか読んでいない。写真だけ見ていても美しい雑誌なのに。世界一美しい雑誌だと僕は思っています。それに世界一売れています。なのに、日本ではほとんど眼にしないし、日本の大学生は知らない。だから、デジタルアーカイブにしても、博物学や科学史の素地がないから見たものを繋げる能力を持っていないのです。博物学や科学の面白さは繋げることによって生まれてくる閃きから来るのです。美しい蝶の図版を一枚見ただけでは、何の感動を得ることはできません。その図版の時代背景とか、同時代の画家とか科学者とか錬金術師たちとの繋がりが見えてこないと、何の価値もないのです。そんな繋がりのない知識なら、僕は伝えて欲しくない。本当に分かった人が情熱を持って語りかけ、授業やワークショップを開いて伝えることをしなければ、良いものが良いものとして受け継がれてゆきません。だから僕は、デジタル化には賛成でもあり、反対でもある立場です。この大学の貴重書庫にある稀覯書を学生に見せると、皆感動します。この匂い凄いですね、と。ぼろぼろになりかけた本のページを繰ると学生は丁寧に繰るわけです。この感覚を体験できるというのは、今の学生にとって大事なことです。五感を通じた刺激が得られるわけです。

「ワクワク感、生きていることって楽しいよ、ということを伝えたい」

Q 日本とアメリカの学生の相違はそこですね。小さいころからいろいろな経験をさせてもらっている学生と塾通いに忙しい子供時代を送った学生との違いですね。大学の先生にもいろいろなことに興味をもって様々な領域の資料を読み漁っている先生とそうでない先生がいらっしゃるような感じを受けます。

A 大きな問題ですね。僕は船が好きで、船の博物館へ行っては、手に入れた図面に基に帆船の模型を作っています。いかに実物の船に近づけるかということに命を賭けています(笑)。博物館へ行って船が欠けているところや壊れているところなどを見て再現するのが好きです。オタクに聞こえるかも知れないけれど、そうではなくて、どうしてこんな形をしているのとか、誰がこの木材を切り出したのか-この時点で自然破壊しているわけです-、誰が乗っていたのかとか、いろいろな疑問が湧いてきて面白くてしかたがないのです。ディテールを伝える必要はなくて、自分がどうしてこれに興味を持っているかというそのワクワク感、突き詰めて言えば生きていることって楽しいよ、ということを伝えたい。それだけで充分だと思う。
木村政司先生
僕が経験したナショナルジオグラフィック協会やスミソニアン博物館の研究者や写真家たちもそうですよ。アフリカのジャングルにマッキントッシュのコンピュータを持って行って、自家発電で動かして、蟻の道をマップにしたりしている。あの情熱ですよ。僕がアメリカに行って昆虫を見せてくれと願い出た時、全部の標本を自由に見せてくれました。お前はイラストレーターだから、全部見ていいよ、一緒に行った蜂の研究者にも見ていいよって、でもお前は蜂の研究者だから見るのは蜂だけね、と(笑)。ロンドンの自然史博物館もそうでした。

「貴重なものは皆に見て欲しいというのが、ナショジオやスミソニアンのマインドです」

Q パブリックとか、出版の世界ではオープンアクセスの動きが出ていますが、パブリックの概念が日本はないと思います。世界中の公共図書館を訪問して調べているライブラリアンの方がいて、日本の公共図書館のあり方が海外とは違うし、日本の大学や図書館のあり方が海外とまったく違うというお話をしばしばしておられます。

A 学芸員とキュレーターの違いと同じです。日本は書類とハンコの世界で、意思決定にも時間がかかります。イギリスは即時に決まります。イギリスに行った時、ロンドンの自然史博物館でこの本の図版の写真を取りたいって言ったら、すぐサインしてくれました。あの、人が人を信頼するあり方、長い歴史の中で探検して集めてきたものを人類の共通の財産として、これを理解している人のためにはいくらでもオープンにするよ、というあの姿勢が日本と全然違います

養老猛司先生は昆虫が好きだから、話をすることがありますが、先生も自然史博物館には毎年のように行かれています。見たいものが見たい時に見られるのです。日本でそれができるかといったら、出来ない。だから『バカの壁』の印税で箱根に箱根昆虫館を建てて、いつでも開放している。だから養老先生のマインドはイギリスのマインドと同じで、貴重なものは皆に見て欲しいというマインドがあるわけです。それはナショジオもスミソニアンもまったく同じだと思う。優れた研究者がいるところは、オープンにすることを恐れていないですよ。皆で共有しましょうという態度があります

Q それは日本の出版社にも言いたいです。

A イラストレーターを大切にしないですしね。イラストを使いまわしにするしね。イラストに対する価値観の日米の違いがナショジオで仕事をしていたのでよく分かった。博物館の中にイラストレーターがいるなんてこと、日本ではいまだにありえないですからね。研究者の部屋の両側にイラストレーターの部屋があって両者が常にコミュニケーションしています。研究者もイラストレーターも医者と同等だと言われました。

Q 先生はナショジオにどのくらいいらっしゃったのですか。

A 契約社員として一年間いました。

Q ナショジオでは具体的にはどのようなことをされたのですか。

A ナショジオで契約社員として働くことになって、その場で契約書にサインしたら、日本の大学のプロジェクトがあるから日本に行ってくれと言われました。そのプロジェクトというのは、海に沈んだ宝物を調査するもので、海底に電波を発信して戻ってくる波形によってどんなものが沈んでいるかイラストにして、描いた原画を編集部との間でやり取りしたり、研究者に送って訂正してもらったりしました。最終的にそのコラムは別の企画に変わってしまったために、描いたイラストは採用されず、ナショジオに保存されることになりましたが、後でポスターとして使われ、日本では考えられないような高額の報酬を得ました(笑)。

「ナショジオやスミソニアンのイラストは、絵ではなく、
文書の視覚化、ドキュメンテーション」

Q 先生はしばしば「サイエンティフィック・イラストレーション」という言い方をなさいますが、これについて簡単にご説明いただけますか。

A 科学イラストレーションとか科学イラストレーターは日本にもいますが、絵の上手い人が科学雑誌にイラストを描いているだけで、科学に関する知識は持っていません。記事を書く人からこういう絵を描いてくださいと依頼されて描くだけで、双方の間にコミュニケーション、共感、共有がありません。科学的な考察に基づいたイラストではありません。絵がうまい人が様々な素材を描いている中に、たまたま科学の素材があるに過ぎない。サイエンティフィック・イラストレーションはこれとは異なります。この言葉はスミソニアン博物館から生まれた言葉だと私は思っています。いわゆる絵ではなく、文書の視覚化、ドキュメンテーションです。サイエンティフィック・イラストレーションと言っているけれども、正確にはサイエンティフィック・ドキュメンテーションの中の一つの視覚化表現です。額の中に入れて美術館に展示することをまったく要求していません。むしろ要求してはいけない。サイエンティフィック・イラストレーターの描くイラストは、美術館のギャラリーではなく、博物館の屋根裏部屋の抽斗にしまわれて、100年後、500年後、1,000年度に正しいと言われるようなものを描かなければいけないという使命を持っている。学者の論文の図版を描くのがもともとのサイエンティフィック・イラストレーターなのです
木村政司先生
僕がアメリカでサイエンティフィック・イラストレーションを学んだ人は海軍にいて、海軍にはサイエンティフィック・イラストレーションのトレーニングスクールがあるのですが、手術に立ち会って先生たちが解説したものを知識として学びながら絵を描かなければならないのです。こういう人たちは昆虫や動物を描くと、まず骨格から描きます。神経、筋肉に皮を付けてゆく。トラが構えているとして、その構えに対してトラの筋肉はどうなっているのか、これを知識として分かっているかどうかということが、サイエンティフィック・イラストレーターには求められます。博物館の展示も同じで、解剖室の中で動物を解剖して剥製にする時に、どうやって生きていた時の姿を再現するかが求められるので、展示される時は見えなくなっても、骨格から筋肉まで全部粘土で表現しています。最終的には皮で被せられた時に、動脈がどう通っているかを大袈裟に表現することで表から分かるようにする。つまり、眼に見えない部分にサイエンティフィックな知識を使うことが求められる

欧米のサイエンティフィック・イラストレーターで絵が上手いからイラストレーターになった人はほとんどいない、生物学が好きな人や大学院で学んだ人が、自分の論文に絵を入れるために、どうしても絵を描きたくなって、絵を習い始めるわけです。30歳代、40歳代になって絵を習い始めるのです。ギルド・オブ・ナチュラルサイエンス・イラストレーターズという2,500人ぐらいが所属する非営利団体がアメリカにありますが、ほとんどが理系出身です。論文も書き、イラストレーションも描く。日本のイラストレーターにこういう人はほとんどいません。水口博也さんというカメラマンがいて、シャチやイルカやクジラを撮影すれば日本一だと言われていますが、彼はシャチを撮影していて、シャチのフィン(ひれ)の形が一匹一匹ごとにすべて違うことを発見して、今は一年の三分の二は研究者と一緒に世界中の海に出ています。一匹一匹のシャチに名前をつけて、写真をファイルして、それを基に論文を書いています。写真家でありながら海洋学者でもあるのです。日本ではものすごく珍しい人です。こういう人だから、ナショジオにその写真が使われるのです。科学的に信頼性があるわけです。この側面をスミソニアンもナショジオもものすごく大事にする。単に絵が上手いだけではダメなのです。

日本のイラストレーターがそうではないということではなくて、きちんとした絵を描いている人ももちろんいます。でも、いわゆる「画家」として描いているのです。まず、呼び方からおかしいですよ。日本では「アーティスト」とか「画家」という呼び方をします。イギリスやアメリカはアーティストとイラストレーターを明確に分けます。君はアーティストだね、でもサイエンティフィック・イラストレーターでもあるよね、と。アーティストとサイエンティフィック・イラストレーターは違うと彼らは必ず言います。日本ではイラストに対する報酬を「画料」と言います。この言い方がいまだ残っている。よく「先生の画料はいくらです」と言われるから、「その言い方、止めてくれない」って言い返します。画料という言い方が今も残っているのは、日本の文化を象徴していると思います。言葉は世界を作ります。言葉の使い方、言葉で世界を区別する仕方が全然できていない。

「論文を説明するためには図版が欠かせない、
これがナショジオやスミソニアンの基本的考えです」

Q イラストレーションを日本語では挿絵と言いますが、どこか「おまけ」という感じがします。

A そうですね。ベアトリス・ポッターは、ピーター・ラビットを描く前に菌類や昆虫の絵を沢山描いています。ポッターのイラストは、イラストあっての文章です。ダーウィンの『種の起源』がまさにそうです。『種の起源』の中には一枚しか図版が入っていません。生き物が根源から分化していった進化の考え方を分かりやすく、しかも単純にして美しい表現で見せた図です。この図がなかったら、ダーウィンの論文は価値がないと思っています。その図があるから進化という概念が言葉で分かるようになった。ワトソンとクリックのDNAの二重らせんの図もそうですね。二重らせんの図があったから、ノーベル賞を取れたとも言える。アメリカの学者はほとんどそのように言っています。図版が一番大事なのです。もちろん論文が核ですが、論文を説明するためには図版が欠かせません。これがスミソニアンやナショジオの基本的考えです。イラストレーターをとても大切にします

だから絵を大事にしろと言いたいのではなくて、お互いに聞く耳を持つべきだと言いたい。絵を描く人、話をする人、研究をする人、研究をサポートする人、資金援助する人、これらの人々のコラボレーションが、たとえばダーウィンの時代には成立していました。パトロンと研究する人が理解しあって、人の話を聞く耳を持つことが研究の原点だと私は思っています。ダーウィンは画家をビーグル号に載せて航海に連れて行きました。シーボルトもそうでしたね。

「なぜ宇宙に不思議なものが存在するのか疑問をもつことが本来のサイエンスです。
そしてこれがナショジオのサイエンスです。」

Q 言葉に関することで言うと、「科学」と「サイエンス」は違うとおっしゃいますが、そのあたりをご説明いただけますか。

A 「科学コミュニケーション」という言葉を使わないでください、と僕は専門家の前でよく言うのですが、「お前は何者だ」という顔をされる(笑)。芸術学部ですと言うと、「何で?」という顔をされます。でも今は、科学コミュニケーションの学会などに出る立場になってしまいましたが。「科学」は「科学・技術」を縮めた表現で「技術」が隠れている。日本の科学は100パーセント技術です。小学生から教える科学は、実は技術を教えているに過ぎません。リトマス試験紙がどう変色したら酸性です、アルカリ性ですというのは技術です。どのようにすればどう変わるかではなく、どうして酸性というものが存在しているのかというところまでは教えていない。それを教えるには地球の成立まで遡らなければなりません。こういうものが生まれた科学の哲学、どうして人は生きなければならないのか、酸性、アルカリ性という概念が人類の生とどうかかわってきたのか・・・・・、このようなことを科学の教育では教えていません。

サイエンスはこれとは違います。サイエンスはナチュラルサイエンスです。元々は錬金術や怪しい黒魔術みたいなものです。プラスの電極とマイナスの電極が引き寄せられることを私たちは知識としては知っていますが、とんでもないマジックです。何も知識のない世界では、プラスとマイナスがくっつくことは素晴らしいマジックです。どうして宇宙にこのような不思議なものが存在するのかと疑問をもつ、興味をもつことが本来のサイエンスです。サイエンスは森羅万象を意味します。生命の根源、46億年前の地球の誕生、137億年前の宇宙の誕生というところから、教育は始まらなければいけないと思います。それをやっているのがナショジオです。ナショジオの中には森羅万象があります。だからナショジオはサイエンスなのです

「ドラえもんの科学」でも扱われているのは技術です。空を飛びたい、どうして飛びたいと思うのか、鳥を見て飛びたいと思う、鳥はどんな生き物なのか、全部繋がっています。鳥も鉱物も火山も災害も全部繋がっています。ところが、科学というと、一部だけ取ってきてそれだけを広げようとしますが、これこそ科学の象徴です。サイエンス的な考え方をしていない。サイエンスは知ること、ナレッジ(知識)です。知ることは生きることです。生きることは豊かに幸せになることです。これと科学技術と一緒にしないで欲しいと思っています。サイエンスという大きな広がりがあって、科学はその一部に過ぎません。明治時代に生まれた科学に対する考え方にまだ日本人は囚われています。サイエンスという本当に素晴らしい大きな世界、哲学を含めた大きな世界を語ろうとしないのです。古書とかアーカイブとか後世に残していく行為は、僕はサイエンスだと思うのです。

Q おそらくナショジオの雑誌の価値をお客様に伝える時に苦労している原因の一つがそこにあるのではないかと思います。学術雑誌は世界の一部だけを切り取って扱っているものですよね。皆、学術雑誌はそういうものだと割り切っていると思います。それに対して、その背景まで含めて森羅万象を扱うナショジオのような雑誌はそれほど必要ではないと思われてしまうのかも知れません。

A 物事を俯瞰して見ないと面白くないですね。なぜなら繋がらないから。僕は自分では研究者という意識がなく、プロデユーサーとかディレクターとして人やモノや地域を繋げる方が好きです。これは良い意味で言うのですが、研究者には変わり者が多いです(笑)。一つのことをとことん追求するのが研究者ですね。でも僕は、研究者を繋げることの方に関心があります。この関心の持ち方を、僕はスミソニアンの研究者から学びました。カール・クロンバイン(Carl Krombine)というハエの研究者がいて、「研究とは世界を知ることだ。世界を知りながら死んでいくのだ。世界を知りながら死んでいく、こんな幸せなことない。それが何人も繋がっていって、500年後、1,000年後、自分が解けなかった謎が解き明かされる。そうやって、世界や地球が幸せになり豊かになるのだ。」ということを言われた時は、本当に目から鱗が落ちました。今まで自分は何をやっていたのだろう、と。絵を描くことに使命感を持っていなかったことに気が付きました。20歳代の後半の時です。それでスミソニアンに残りたいと申し出ると、「スミソニアンで沢山素晴らしいことを学んだのだから、君は日本へ帰ってそれを伝えなさい」と言われ、日本に戻ることを決意しました。そういうマインドを若い人たちに伝えなければいけないと思っています。

Q 先生のお話を聞いて思うのは、日本では大局観とか俯瞰するという考えが欠如している気がします。諸々の問題の原因はそこにあるのかなという気がします。

A 共感し、共有してくれる人たちを集めて、勉強会をやるとか、子供たちを集めてワークショップを一緒にやるとかでもいいと思います。良い例だと思うのは、科学技術館の「青少年のための科学の祭典」です。全国展開して、子供たちの間で人気があり、リコーやIBMが協力してくれていて、コピー機を親子で分解してみせたりするのです。こういうことは、どんどんやったら良いと思う。こういう面白いことを追求するのがサイエンスなのですが、日本ではなかなか理解されない。伊藤若冲のコレクションで有名なプライスさんは、日本人が若冲をまったく評価していなかった時に素晴らしいと若冲を評価して買い集めました。あのモノを見る眼、自分の直観を信じる姿勢は、まさしくサイエンスです。自分の直観を信じて行動しているだけで、ただ自分が素晴らしいと思ったものを購入したに過ぎないと、インタビューでも言っていました。後になって世間が評価しているだけで、そんな評価はプライスさんにとってはどうでもいいのです。僕は、最初はサイエンスと科学の相違ということをよく言っていたけれど、最近はどうでもよくなった。サイエンスと科学の違いがわかった瞬間に、その違いなどどうでもよくなった。大事なことは、子供たちに対して何ができるか、子供たちに伝える役目を負った大人が今何を勉強しているか、こういうことに世の中が集中しない限り、よくなりません。

Q 子供たちに伝えるということの関連で言うと、先生は研究以外に大学で教育にも携わっています。大学の教育の現場でナショジオのコンテンツを活用するとすれば、どのような活用の仕方をお考えになりますか。

A アメリカから研究者や編集者を招聘して、ナショジオの雑誌がどのようにして出来上がっているか、どういうマインドで制作しているのか、どうして黄色い縁なのか、そこを知ることから始める必要があるでしょう。やはり、ナショジオの現場で働いている人を連れてきて、話をさせる、その後、富士山でも屋久島でもいいから、その人が興味を持っている場所で探検をする。写真家や研究者も加えるとよい。そういう「ナショジオを知り尽くそう」という企画パッケージを作る。もの凄い効果があると思います。それでナショジオの良さが理解されると口コミで広がってゆきます。

Q ナショジオの雑誌には多数の写真が掲載されていますが、最終的に掲載される一枚の写真を撮影するまでには大変な苦労があるらしいですね。取材陣は、気に入った写真が撮れるまで戻って来なくてよろしいと取材前に言われているようですね。

A ナショジオのフォトエディターの部屋を見たことがありますが、20畳くらいの部屋がコダックのスライドのケースで埋まっていました。全部パンダの写真で、中国の奥地で4年間ずうっとパンダの写真を撮っていると言っていました。

Q 日本人の写真家の岩合光昭さんが、地獄谷に何年も通ってサルの写真を撮り続けて、ようやく満足のゆく写真が撮れたというのが、ナショジオの雑誌の表紙を飾ったサルが雪だるまを抱えて歩いている有名な写真です。

A 日本人の写真家でナショジオに写真が使われた人の中では、岩合さんがトップクラスですね。

Q ナショジオの雑誌をデジタルアーカイブ、データベースとして利用することについてはどのような価値があるとお考えですか。

A 本学でも貴重書をデジタル化しています。デジタルアーカイブは、いずれなくなってしまうものを伝えてゆくためのプロセスだと思います。現時点で最善の状態のものをデジタル化して残して行くことは人類の財産になってゆくと思います。質感、匂いはないかもしれないけれども、最善の状態のものをビジュアルに-視覚刺激は人間の一番素晴らしいところなので-残して行くことは大変価値があると思います。ロバート・フックの「ミクログラフィア」のCD-ROMを持っているのですが、パソコンで画像として見ることができます。これをデータベースにすれば、配信できる。この先は、3Dになると思います。本をめくる感覚が楽しめるようなデータベースが出てくると思います。これからデータベースがどのように進化してゆくかというのは凄く楽しみにしています。

「ディテールを拡大して見るのはデータベースならではの便利さ」

Q トライアルをされてみた感想はどうでしたか

A 実に便利だと思いました。特に、皮膚の一部を拡大し、文字の活版の押してある部分を拡大してどのくらいの凹みがあるとか、インクのノリがどうかを見る、つまりディテールを拡大して見るのはデータベースならではの便利さだと思います

Q ありがとうございます。

A でも、やっぱり実物が一番いい(一同爆笑)。実物とデータベースが一緒にあればもっといい。実物を手に入れられない人もいるわけですから。

「ナショジオの雑誌は、単なる出版物ではなく、人類の宝」

Q 先ほどお話されたワークショップ、やりたいですね。ナショジオの人を日本に招待してイベントを開催したら面白いと思います。

A やりたいですよね。一番やりたいことですね。本当はそれが基になってオープンユニヴァーシティなど作れたら良いのですが。ナショジオのような雑誌が日本に誕生すれば良いのですが。やはり、ナショジオの歴史は凄いですよ。財団で、ほとんど寄付で成り立っているのですからね。本部の一階ではいつも展覧会をやっています。ナショジオに行くと、本当に世界の人々に夢を与えている場所だなということが分かります。物事の捉え方が大きい。経済効果も考えているし、アメリカのプライドも持っている。アメリカのプライドの象徴ですよ、ナショジオは。ハーレー・ダビットソン、ナショジオ、スミソニアンです(笑)。スミソニアン博物館など凄いですね。建築物としても素晴らしい。ワシントンD.C.のど真ん中にこういう博物館があるのですから。入場無料ですからね。どうして無料なのって訊いたら、政府機関で働いている人がランチタイムに気軽に自分の文化と芸術を振り返って見られるようにするのが目的だから無料にするのは当たり前だと言っていました。永田町に博物館群があるなんて考えられないでしょ(笑)。芸術、文化をいかに大事にするかってことです。ナショジオの雑誌は単なる出版物ではありません。人類の宝です。データベース化されたことで多くの学生に利用を勧めるべきです

Q 長い時間に亘り、どうもありがとうございました。先生のお話を今後のプロモーションの参考にさせていただきたいと思います。。

※このインタビューを行なうに際して、紀伊國屋書店様のご協力をいただきました。ここに記して感謝いたします。

 

先生のプロフィール ■1955年松戸市生まれ。

■1983年米国ワシントン州立大学大学院修士課程修了。

■医学や昆虫学のサイエンティフィック・イラストレーションを専門としている。

■多くのサイエンティストやジャーナリスト、サイエンスライターとのコラボレーションからサイエンスとデザインを融合させた、サイエンスデザインを実践しながら科学教育推進のための研究を重点的に展開している。

■専門は、サイエンティフィックイラストレーション、サイエンスコミュニケーションデザイン計画、サイエンスリテラシーによるデザイン教育。

現在、日本大学藝術学部教授。